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岡山地方裁判所 昭和42年(ワ)182号 判決 1969年11月27日

原告

渡辺潤吉

被告

川野正利

ほか三名

主文

被告川野正利、同宝重機有限会社は原告に対し、各自金二九二万五二九六円およびうち金二九一万〇八六八円に対する昭和四一年三月一九日から、うち金一万四四二八円に対する昭和四三年二月一五日から右各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告川野正利、同宝重機有限会社との間に生じた部分はこれを五分しその三を原告のその二を右被告両名の各負担とし、原告とその余の被告らとの間に生じた部分はこれを原告の負担とする。

この判決主文第一項は原告において被告川野正利、同宝重機有限会社に対し各金五〇万円の担保を供することを条件に仮に執行できる。

事実

原告訴訟代理人は「被告らは原告に対し各自金五〇〇万円およびこれに対する昭和四一年三月一九日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに第一項について仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、昭和四一年三月一四日午後七時一五分ころ、被告川野正利は大型貨物自動車(登録番号岡一せ二〇四三号、以下、被告車と称する。)を運転して、岡山市兼基町三六番地先道路を東進し、右道路南側にあるガソリンスタンドに給油のため立ち寄るべく、右折しようとしたのであるが、折から右道路を西進してきた訴外前田進が運転し、原告が同乗する普通乗用自動車(以下、原告車と称する。)に気づきながら、給油を急ぐあまり、直進車たる原告車の通過を一時停止してまたず、その道路をさえぎつて右折した過失により、被告車は原告車と衝突し、その結果、原告車に同乗していた原告は脳震盪症顔面、顎部および後頭部挫創、左足関節、腓骨下骨折、両膝部打撲擦過創、右第二、第三肋骨骨折の各傷害を蒙つた。

二(一)  被告今川佑は訴外岡山いすず自動車株式会社から被告車を買受けて本件事故当時もこれを所有し、被告車の運行上必要な行政官庁の許可を得るについてその名義を使用し、被告川野が被告車を用いてするしごとの世話をし、運行について指図する権限を有し、したがつて被告車を保有し、本件事故当時これを運行の用に供していたものである。

(二)  被告千疋屋建設有限会社(以下、被告千疋屋と称する。)は被告川野を雇傭し、被告車の登録名義を代表取締役たる被告今川名義とし、被告川野をして被告車を用いて自社の業務に専属的に従事せしめ、本件事故当時は被告川野に命じて被告宝重機有限会社(以下、被告宝重機と称する。)のしごとをさせ、かりにそうでないとしても被告川野が自社の従業員であると称することを許し、被告川野が被告宝重機のしごとをしているのを黙認し、したがつて被告車を保有し、本件事故当時これを運行の用に供していたものである。

(三)  被告宝重機は被告川野の運転する被告車を用いて自社の業務に従事させていたものであるが、ガソリンの代金を負担し、被告川野に対し、雇傭に準じた高度の指揮、支配の権限を有し、本件事故は被告川野が被告宝重機のしごとの帰途、翌朝のしごとの準備として、被告車に給油するためガソリンスタンドにたち寄ろうとして発生した。したがつて被告宝重機は被告車を保有し、本件事故当時運行の用に供していたものである。

三、よつて、被告川野は被告車の運転者として民法第七〇九条により、その余の被告は被告車の運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条により、かりにそうでないとしても被告千疋屋、同宝重機は被告川野の使用者として民法第七一五条により、原告に対し、原告が本件事故により蒙つた後記損害を連帯して賠償しなければならない。

四、原告は本件事故によつて蒙つた前記傷害のため九三日間入院し、退院後も頭痛、記憶力減退、卒倒などの後遺症に悩まされているが、本件事故によつて受けた損害は次のとおりである。

(一)  逸失利益 九〇八万四〇一九円

原告は本件事故前、大阪市において機械工をしていたが独立して小工場を経営すべく退職し、その準備中、本件事故に遭遇した。当時原告は満三三歳で以後少くとも三〇年間就労でき、その間少くとも、昭和四〇年度の大阪地方における工作職長の平均月収五万四〇〇〇円と同程度の収入を得ることができたのに、本件事故によつて受けた後遺症のため失対労務者としてでも働らかざるを得なくなり、その月収一万二〇一二円(日給五四六円に月間平均就労日数二二日を乗じたもの)と右五万四〇〇〇円との差額一ケ月四万一九八八円の割合による収入の減少を生じ右就労期間中同額の損害を蒙ることになるが、これからホフマン式計算により一年毎に民法所定年五分の割合による中間利息を控除して、事故当時の一時払額に換算すると九〇八万四〇一九円となる。

(二)  治療費 五万八二三二円

(三)  慰藉料 五〇万円

五、よつて被告ら各自に対し右損害額のうち金五〇〇万円およびこれに対する事故の後日たる昭和四一年三月一九日から右完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告ら訴訟代理人は「原告の請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対して次のとおり述べた。

一、第一項の事実のうち、原告主張の日時、場所において、被告川野の運転する被告車と原告が同乗していた原告車とが衝突し、その結果、原告がいくらかの受傷をしたことを認め、その余を争う。

二、第二項の(一)、(二)、(三)の各事実は全て否認する。被告今川は被告車を訴外会社から購入した後、まもなく訴外秋庭正希に譲渡した。被告川野は本件事故当時被告車を所有しこれを使用して土砂運搬業を営んでいたものであり、被告千疋屋、同宝重機とはいずれも運送契約にもとづいて運搬を請負つていたに過ぎない。

三、第四項の事実は全て争う。

〔証拠関係略〕

理由

一、昭和四一年三月一四日午後七時一五分ころ、岡山市兼基町三六番地先道路上において被告川野の運転する被告車が、原告の同乗し、訴外前田進の運転する原告車に衝突し、原告が受傷したことは当事者間に争いがなく、右争ない事実に、〔証拠略〕を綜合すると次のとおりの事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

すなわち、被告川野は被告車を運転して国道二号線(幅員一〇・五米のアスフアルト舗装道路)を東進し、本件事故現場附近において道路南側にある給油所にたち寄るべく右折しようとし、対向車の有無をみたところ、折から約五〇米前方に西進してくる原告車を認めながら、衝突の危険はないものと軽々に考え、そのままセンターラインを越えて右折、横断を開始した。ところが、横断の途中において、接近してくる原告車をみて、始めて衝突の危険を感じ、あわてて右にハンドルを切つて衝突を回避しようとしたがおよばず、原告車の左前部に被告車の左前部を衝突させ、その衝撃で同乗していた原告は、入院加療三ケ月を要する脳震盪症、顔面、顎部、後頭部挫創、左足関節、腓脛骨下端骨折、両膝部打撲擦過傷右第二肋骨骨折の傷害を受け、現在なお頭痛、めまいなどの後遺症を遺している。

右認定のとおりの事実関係からすれば被告は対向してくる原告車の速度を考慮にいれ、その通過をまつかあるいは原告車が徐行、停止するのを確かめてから横断を開始すべき注意義務があるのにこれを怠り、衝突の危険はないものと軽々に考えて横断を始めた過失があり、本件衝突事故は右被告川野の過失によつて発生したと認められる。したがつて同被告は原告が本件事故によつて蒙つた後記損害を賠償しなければならない。

二、〔証拠略〕によれば、被告川野は昭和三九年一〇月ころ被告車を秋庭正希から購入してこれを所有し、以後被告車を使用して土砂、建築材料などの運搬を業としていたこと、昭和四一年二月二八日に被告宝重機が設立されると被告川野は被告宝重機が請負つた運送を後に述べるようなかたちで同被告会社の指図にしたがつて下請けすることを約定し、以後、同年秋ころ被告川野が被告車を被告宝重機に買取つてもらつて同被告会社の運転手として雇傭されるにいたるまで、専ら同被告会社のしごとに従事していたこと、被告宝重機は建築材料などの運送を業とする会社であるが、設立当時の代表者秋庭君子の夫にして現在の代表者である秋庭正希が貨物自動車を所有してこれを運転し自から運送に従事するほかは、貨物自動車を所有する被告川野および他数名の運転手と専属的下請契約を締結し、被告宝重機が請負つた注文主のもとへ被告川野らを派遣して運送に従事せしめ、給油および修理は被告宝重機の名義を使用してなすことを許諾し、注文主からの支払が遅れた場合にも一時これを立替え、請負代金から右給油、修理代金を差引いて被告川野らに支払をしていたこと。被告川野は事故当日、右に述べたようなかたちで、被告宝重機が請負つた訴外有限会社田村組の材料運搬のしごとに従事しての帰途、給油をしようとして本件事故を惹起したことがそれぞれ認められ、〔証拠略〕に照して直ちに信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして以上認定の事実関係によれば、被告宝重機は被告車の運行を支配するとともに運行による利益を享受し、したがつて自動車損害賠償保障法第三条の規定にいわゆる運行供用者にあたるというべく、原告が本件事故によつて蒙つた後記損害を賠償しなければならないと解する。

三、原告は、被告今川が右法条にいう運行供用者に該当すると主張するが、本件事故当時被告車を所有し、被告川野が被告車を用いてするしごとの世話をし、運行について指図する権限を有していたとの原告主張事実はいずれもこれを認めるに足りる証拠がなく、〔証拠略〕によれば、被告車の自動車登録原簿の被告車使用の本拠は同被告方であり、昭和四二年四月二五日まで被告車の検査申請は同被告名義でなされていることが認められるけれども、〔証拠略〕によれば、被告今川は被告車を昭和三九年四月ころ秋庭正希に売却しており、ただ被告今川が所有権留保付約定で被告車を買受けた訴外岡山いすず自動車株式会社に対する月賦代金が完済されるまで、右自動車登録原簿の使用者名義を変更しないで残し、自動車検査の申請も同被告名義ですることを同被告において諒承していたにとどまることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告今川は、被告車を譲渡した昭和三九年四月ころ以降は、も早被告車の運行についての支配を失つており、運行供用者には該当しないことが明らかである。したがつて同被告に対する請求はこの点において理由がない。

四、さらに原告は、被告千疋屋が右法条にいう運行供用者に該当し、また民法第七一五条によつて損害を賠償すべき責任があると主張するが、同被告会社が本件事故当時、被告川野を雇傭し、自社の業務に専属的に従事せしめ、また同被告に命じて被告宝重機のしごとをさせ、あるいは同被告が被告千疋屋の従業員であると称することを認めていたとの原告主張事実はいずれもこれを認めるに足りる証拠がない。

〔証拠略〕によれば、被告千疋屋もその建設材料運搬の業務を営むにつき、貨物自動車を所有する運転手と、前記被告宝重機がとつたのと同様のかたちで請負契約を締結していたこと、被告川野も昭和三九年一〇月ころから昭和四一年二月ころにかけて、右のような形式で被告千疋屋と専属的請負契約を締結し、その所有する被告車で被告千疋屋の運搬のしごとをおこない、健康保険の関係では、同被告会社の従業員として届出をし、本件事故当時も右届出のままになつていたことが認められる。しかしながら一方、〔証拠略〕によると、被告川野は昭和三九年二月ころ被告千疋屋のしごとがなくなつたので、同被告会社のしごとを全くやめ、関係を断つたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、同年三月からは被告宝重機のしごとに専属的に従事し、その間に本件事故を惹起したものであると認められることは前記のとおりである。

右事実によれば、被告千疋屋は昭和四一年二月以降はも早被告車の運行についての支配を失つており、運行供用者にも民法第七一五条にいわゆる「使用者」にもあたらないことが明らかであり、したがつて同被告に対する請求はこの点において理由がない。

五、〔証拠略〕によれば、原告は本件事故によつて受けた傷害治療のため、昭和四一年三月一四日から同年六月一四日まで九三日間、岡山市の川崎病院に入院し、その後も頭痛、めまいなどの後遺症治療のため右川崎病院および国立大阪病院へ通院したが現在なお頭重感、全身の倦怠感を残していると認められるところ、

(一)  逸失利益 二四一万〇八六八円

〔証拠略〕を綜合すると、原告(昭和八年九月二〇日生)は本件事故直前、機械仕上工として熟練した技能を有し一ケ月平均六万七八六〇円の収入を得ていたこと、独立して機械工場を経営すべく準備中、本件事故に遭遇し、事故による受傷ならびに後遺症のため受傷後六ケ月間はほとんど就労できず、その後昭和四三年末までは臨時の工員として一ケ月平均一万円の収入を得、昭和四四年一月からは原告一人で機械工場を自営しているが前記後遺症のため精密な工作や根気のいるしごとができず、一ケ月平均二万円の収入しかあげられないことが認められ、この状態は少くとも受傷後満四年である昭和四五年三月一三日までは続くと推認するのが相当である。したがつて原告は本件事故に遭わなければ、前記一ケ月六万七八六〇円を下らない収入を得られたにもかかわらず、事故のため六ケ月間は全く収入がなく、その後昭和四三年末までは一ケ月一万円、昭和四四年一月から昭和四五年三月一三日までは一ケ月二万円の収入しか得ることができないため、その差額の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙ることになると推認されるが、これから一年毎に年五分の割合による中間利息を控除して事故当時の一時払額に換算すると二四一万〇八六八円となる。(別紙計算書のとおり。)

(二)  治療費 一万四四二八円

〔証拠略〕によれば、原告は治療費として国立大阪病院に対し、昭和四三年二月一五日に一万四四二八円を支払い、同額の損害を蒙つたことが認められる。

(三)  慰藉料

五〇万円をもつて相当とする。

右認定を左右するに足りる証拠ならびに右認定金額を超える原告の請求を認めるに足りる証拠は存在しない。

六、以上のとおり、被告川野、同宝重機は原告に対し各自金二九二万五二九六円(五の(一)、(二)、(三)の合計額)の損害賠償金およびうち金二九一万〇八六八円(五の(一)、(三))に対する本件事故の後日である昭和四一年三月一九日から、うち金一万四四二八円(五の(二))に対するその支出の日たる昭和四三年二月一五日から右各完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならず、原告の本訴請求は右認定の限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することにし、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 東条敬)

計算書

<省略>

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